リンゴォblog

男の世界へようこそ

『村上さんのところ』あるいは壁と卵

村上春樹の著書をひとにおススメするために書評を書くほど
意味のないことはない。

誰かにどれだけ薦められても、読むべきタイミングでないときには
ひとは村上春樹の著書を読もうとしないし、
誰に薦められなくても、然るべきタイミングが訪れれば、
まるでそれが運命だったように自然と村上春樹の著書を手に取る。
自明だ。

村上さんのところ

村上さんのところ

ちょうど人生の半分くらいを「村上主義者」として、
過ごしてきた私にとって、長編小説以上に大好物なのが、
村上春樹さんのエッセイが先日発売された。

村上春樹さんが期間限定サイトに送らてきた質問に、
かたっぱしから答えていき(3716回答に及ぶ)、
その中から厳選された473のやり取りが収録されている本著。

それぞれの人生の中における「村上春樹

本著に収録されている質問と回答を読んでいて、驚くのが、
その質問者の年齢層の広さだ。
下はひと桁代、上は70歳くらいまでまさに老若男女が、
それぞれの質問を村上春樹さんにぶつけている。

質問内容には何の統一性もないけれど、
それぞれがそれぞれの人生の中で必要なときに村上春樹さんの
著書を手に取り、それぞ人生の大切なターニングポイントであったことが
たくさんの質問、その全体からなんとなく浮かび上がってくる。

「ものごとにはバルクで処理して初めて意味を持つことがある」
というその言葉通りである。

「壁と卵」

これだけ多くの質問があるので、もちろん軽い質問や、
ふざけた回答もあるのだけれど、2ページに1つくらいの割合で、
村上春樹さんの創作観の根幹に触れられるようなものもある。

特に心に残るのが、家族や恋人など愛する人を失った悲しみに
関する質問に対する、村上春樹さんの一貫した優しいスタンスだ。
何か具体的で実用的なアドバイスをしているわけではないけれど、
すっと安心するような不思議な力がある。

「出口が見えないと苦しんでいる人に、出口はあると思ってもらえるような
ものを書いていきたい」というような答えは、
胸が詰まった。

エルサレム賞の授賞式で語られたあまりにも有名な「壁と卵」のはなし。
突然、壁が悪意を持って個人に迫るとき、個人は本当に無力だ。
これまで必死になって築いてきたものが、あまりに理不尽なかたちで、
すべて破壊されてしまうように感じることがある。

国家と個人という大きな文脈でも、たとえば会社と従業員という
小さな文脈でも、「壁」に対して「卵」は無力だ。

どうしても「壁」をぶっ壊すという方向でものごとを考える僕にとって、
ただ「卵」により添って、味方になるということの意味を考えされる。

「出口が見えない」と苦しんでいる友達がそばにいたら、
そっとこの本を渡してみるといいかもしれない。
きっと、然るべきタイミングで読む日が訪れて、
少しだけ元気とか勇気とかが湧くんじゃないだろうか。