堀北真希の陥落 あるいは合理性の罠
「ヤマモトコージ、やりやがった」
ミスター赤ヘル山本浩二ではない。
難攻不落の堀北城をついに陥落せしめた山本耕史だ。
何が奮ってるって、そのアプローチが足掛け6年にも渡り、
連絡先を知らないあいだは手紙を40通も渡していたというその愚直さ。
一歩間違えたら、というか完全にストーカーだ。
- 作者: 藤沢数希
- 出版社/メーカー: 幻冬舎
- 発売日: 2015/07/24
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誰かの解説を待たずとも、こんな手法が通用するなんて到底思えない。
僕の友人がこんなことしてたら、
「おいおい、そりゃあ流石にぶっこみ過ぎだろ…。別の方法を考えよう」
なんてくだらないアドバイスをしていた可能性が高い。
それなのに、それだからこそ、山本耕史は偉業を成し遂げた。
僕はこの偉業に心から感服し、そしてこの偉業がひとつの福音に思えた。
「たまたま上手くいっただけだろう」
「まともに付き合った期間もないんだから、この先どうなるか分からない」
なんて批判もあるという。
しゃらくせえ。
僕たちは、普段の仕事の現場において特徴的な思考プロセスを利用する。
例えば「PDCAサイクル」であったり、「MECE」と呼ばれるフレームワークだったりする。
仕事に接する時間が長く、更に分かりやすい成果も出しやすいせいで、
本来的にはこのようなフレームワークに馴染まないような種類のものごと、
それは恋愛であったり結婚であったり育児だったりにまで
このような枠組みを援用しようとしてしまう。
確かにこのようなフレームワークを使えば、効率よくものごとを
処理することが可能だし、なによりも再現可能性があるから、
自己検証によるプロセス改善も可能でとっても合理的。
が、合理性で堀北城は陥落できたのだろうか。
ここぞと思ったら合理性も再現性も効率性も屁のツッパリにもならないのだ。
過剰にぶっこんでぶっこんでぶっこみ続ける狂気こそが偉業を成し遂げる。
なんでもかんでも合理的に判断し、検証しようとする発想はある種の呪いだ。
自分の情熱や行動にふたをしてしまうかもしれないし、
「合理性」というザルでは掬い取れないもの、例えば愛みたいなものを
ボロボロと取りこぼしてしまう。
僕たちは山本耕史の狂気のぶっこみからたくさんのものを学ばなければいけない。