リンゴォblog

男の世界へようこそ

羽生善治の防衛 あるいはSTARTING OVER

「何かが終わり また何かが始まるんだ」
王位戦第5局、2カ月に渡った王位戦の幕が閉じ、
羽生王位の防衛となった瞬間、
僕にはMr.childrenの歌う「Starting Over」が聴こえた。


Mr.Children - Starting Over - YouTube
長年続いた制作体制を一新し、日本の「キング・オブ・ポップ」に君臨しながら、
またここから新たに出発しようとする決意に胸が熱くなる一曲だ。


挑戦者、広瀬八段の王位戦は第3局で羽生王位をトン死に陥れる
得意の圧倒的終盤力の片鱗を見せるも、
全体を通して、羽生王位の番勝負の強さだけが際立つようなシリーズとなった。

第5局は序盤広瀬八段が有利と言われる局面となるも、
2八にいたはずのと金がじりじりと広瀬玉に迫り、
華麗というかあっさりと逆転して、広瀬玉を討ち取った。
にじり寄るような羽生王位のと金はまるで闇夜から
ひたひたと迫るジェイソンの足音のように僕には見えた。


「なぁ、広瀬八段、終わっちまったのかなぁ」

そんなわけないだろ。

どんなことであっても、「現場」に身を投じることを上回る
学習はないのだ。

20代でキング羽生と番勝負を闘ったことがある棋士は現在、
数えるほどしか存在しない。
番勝負で見せるキング羽生の本当の強さを知って、
絶望するようなタマなら、そもそもこんなところにまで
勝ち残れるはずがない。

想像の中では簡単に思えたことも、その場に立ち会うことで
初めて実現することの困難さに気づいて、
やっとそこから本当の勝負が始まる。

出張中、自身の境遇とも重ねるように広瀬八段のこれからの
ますますの活躍を心から願った。

「なあ、広瀬章人、終わっちまったのかなぁ」
「馬鹿やろう!まだ始まってもいねえよ!」

堀北真希の陥落 あるいは合理性の罠

「ヤマモトコージ、やりやがった」
ミスター赤ヘル山本浩二ではない。
難攻不落の堀北城をついに陥落せしめた山本耕史だ。

何が奮ってるって、そのアプローチが足掛け6年にも渡り、
連絡先を知らないあいだは手紙を40通も渡していたというその愚直さ。
一歩間違えたら、というか完全にストーカーだ。

ぼくは愛を証明しようと思う。 (幻冬舎単行本)

ぼくは愛を証明しようと思う。 (幻冬舎単行本)

藤沢数希の言うところのいわゆるひとつの「非モテコミット」全開。
誰かの解説を待たずとも、こんな手法が通用するなんて到底思えない。
僕の友人がこんなことしてたら、
「おいおい、そりゃあ流石にぶっこみ過ぎだろ…。別の方法を考えよう」
なんてくだらないアドバイスをしていた可能性が高い。

それなのに、それだからこそ、山本耕史は偉業を成し遂げた。
僕はこの偉業に心から感服し、そしてこの偉業がひとつの福音に思えた。

「たまたま上手くいっただけだろう」
「まともに付き合った期間もないんだから、この先どうなるか分からない」
なんて批判もあるという。

しゃらくせえ。

僕たちは、普段の仕事の現場において特徴的な思考プロセスを利用する。
例えば「PDCAサイクル」であったり、「MECE」と呼ばれるフレームワークだったりする。
仕事に接する時間が長く、更に分かりやすい成果も出しやすいせいで、
本来的にはこのようなフレームワークに馴染まないような種類のものごと、
それは恋愛であったり結婚であったり育児だったりにまで
このような枠組みを援用しようとしてしまう。

確かにこのようなフレームワークを使えば、効率よくものごとを
処理することが可能だし、なによりも再現可能性があるから、
自己検証によるプロセス改善も可能でとっても合理的。

が、合理性で堀北城は陥落できたのだろうか。

ここぞと思ったら合理性も再現性も効率性も屁のツッパリにもならないのだ。
過剰にぶっこんでぶっこんでぶっこみ続ける狂気こそが偉業を成し遂げる。

なんでもかんでも合理的に判断し、検証しようとする発想はある種の呪いだ。
自分の情熱や行動にふたをしてしまうかもしれないし、
「合理性」というザルでは掬い取れないもの、例えば愛みたいなものを
ボロボロと取りこぼしてしまう。

僕たちは山本耕史の狂気のぶっこみからたくさんのものを学ばなければいけない。

坂本勇人の度胸 あるいは菅野智之の涙

「相変わらず、図太い奴だな、ほんと」

オフィスのPCで仕事しながら見ていた巨人vs阪神
真夏の天王山第3Rでサヨナラヒットを打ち、
ヒーローインタビューに応える坂本勇人を見て、
いつの間にか自然とこの若き主将を自然とチームの
中心として見ていた自分に気付いた。

伝統の「読売巨人軍主将」の看板を背負うも、その重圧を感じさせず、
いつも飄々としているように見えるが、
それでもピンチの時にはふらっとマウンドに近寄ってみたり、
今日のような決めるべきところではちゃんと仕事を果たす。

首位攻防戦、勝てば3連勝で阪神に0.5ゲーム差に迫る試合の最終回、
無死満塁から得点できない嫌な流れの中で、
打席に入る前に菅野の両親の表情を見る図太さ。
そしてヒーローインタビューではその両親をいじる余裕。
選手がボス原監督の妹を公でいじったのなんて初めて見た。

headlines.yahoo.co.jp


普通の26歳が、例えば抜擢人事されようものなら
バッキバキに気合い入れて、弱みを見せまいと神経すり減らして、
胃が痛いのを隠して闘うのが相場だ。

それが良いとか悪いとかじゃなくて、坂本勇人は26歳にして
既にそういう次元のプレイヤーではないということが凄い。凄すぎる。

先輩チームメイトからも
「勇人は切り替えがほんとに早い。見習いたい」と言わせる
毛の生えたような強心臓。

もちろん天性というのもあるのだろうけど、
2007年にデビューしたときから巨人の一員として注目され、
大きな賞賛とそれ以上に過剰にdisされてきた経験の賜物なのだろう。

大きな賞賛と過剰な批判が、強靭なメンタルを育て、
その強靭なメンタルで以て更に大きな賞賛と批判をもたらす。
いわゆるひとつのポジティブ雪だるま状態。

坂本勇人の成長曲線の描き方は、決して他人事ではない。

「結局さ、図太い奴が勝つんだから、もっと外に出たほうが良い」

昨今のSNSの普及によって、よく指摘されることだ。
WEB上で話題になり、影響力を高め、ビジネスとしても成功している人たちは、
みな「炎上」を糧にポジティブ雪だるま状態を作っている。


菅野智之の涙に感情移入して、魂込めて黙々と頑張るのもいい。
「炎上」を糧に火事太りする著名人を見て、みっともないと思うのもいい。

ただし、それは下りのエスカレーターを昇ろうとする行為なのかもしれない。

上りのエスカレーターを軽やかに飄々と駆け昇るのも一局。
下りのエスカレーターを必死に泥臭く駆け昇ろうとするのも一局。

坂本勇人が今日はとても眩しく見えた。